歩けを科学する 一般社団法人 木谷ウオーキング研究所

研究所概要 メールでのお問い合わせ 03-5767-8831

キタさんのヤジ馬「日歩録」

伊能忠敬、間宮林蔵そして高原景宅

 先週18日に、伊能忠敬研究会の渡辺一郎名誉代表が
下記のように記者発表を行い、正式に「北海道は伊能忠敬ではなく、間宮林蔵が測量した」ことを公式発表しました。
 これで、「200年前の日本地図は間宮林蔵、伊能忠敬、高原景宅の3人が測量して作成した」ということが明確になりました。
 伊能忠敬、間宮林蔵よりも前に、当時の世界最高レベルの測量法で高原景宅が沖縄の地図を完成させていたことがこれまで知られてこなかったことが不思議でした。
伊能忠敬は島津藩からそれを聞いて(見せてもらって?)沖縄には向かわなかったのか、屋久島と種子島の測量をして沖縄行っていません。ぜひお調べいただきたいテーマです。

 今月28日から東京の中央区で開く完全復元伊能図全国巡回フロア展を、これまで26回全国で開催してきた中で、「当時の沖縄の地図はどうしてないの?」という声を各地で聞きました。指宿市の南幸弘医師のご紹介で、南先生の義兄の嘉数昇明元沖縄県副知事所蔵の「琉球国之図」のコピーをお見せいただき、なんと伊能忠敬が測量を開始する以前に、三角点測量によるまことに正確な、しかも美しい沖縄県の地図があったことがわかり、星埜由尚先生と沖縄へ行き、地図を所持されている尚財団の小川武理事長にお会いし、沖縄県立芸術大学の安里進教授(現、県立博物館館長)より、「琉球国之図」は、琉球王府の1737年の「乾隆検地」という当時のアジアでも最先端の近代測量技術が導入された大規模国家プロジェクトによって生れましたと次のようにお教えいただきました。

「1719年に、中国からやってきた冊封使の一行と一緒に、フランス式の測量で中国を近代測量した平安という、冊封使と同格の位の測量官が琉球にやってきた。そして若いときに中国に留学して風水を学び、羅針盤を琉球に持ち帰った時の王府の宰相の蔡温と相談して琉球の緯度と経度を測ったころから、琉球王府の測量技術は高度なものがあった。高原景宅など、琉球王府の測量技師たちは、伊能忠敬よりも63年も前に近代測量技術を駆使して琉球の島々を徹底的に実測していた。彼らは間切(市町村)毎に3000分の1の縮尺の高精度で詳細な「間切島針図」を作成している。高原景宅たちは、3~5人編成の測量隊を組んで、14年の歳月をかけて島々村々を隅々まで測量した。ハブの棲む山野に分け入り、山林原野田畠の境界、川筋、海岸線、道路、間切境界線を丁寧にはかり、全ての田畠を一筆ごとに三斜測量して正確な面積を算定した。田畠の測量では、畔の面積や畑の中に転がっている岩の面積まで測る徹底ぶりだ。もちろん測量図根点も各間切に200~300個も設置した。実に困難で根気のいる測量と地図作製作業だった。」

 高原景宅を通して、私たちはもっと当時の沖縄の学問、文化水準の高さを正しく世界が知るべきだと改めて感じた記者発表でした。
ここに記事のURLを記させていただきます。どうかご高覧下さい。
[2014/08/23]