歩けを科学する 一般社団法人 木谷ウオーキング研究所

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今月は東に、今日は西に

伊能忠敬・星と地球楽校第4回千葉・佐原、第5回河口湖連続開催

歩いて日本地図を作った伊能忠敬は、ただむやみに歩いただけではありません。1日の測量を終えた後、その日のデータを整理し、定期的に北極星の仰角を測ってその土地その土地の緯度を確認しながら正確無比な日本地図を作り上げました。

木谷ウオ-キング研究所では、こうした伊能忠敬の歩いて地図を作成した技法を実践しようと、伊能忠敬・星と地球楽校を開催してきました。

今年の夏休みには、下記のように8月1日―2日に千葉県の神崎町と香取市佐原で、8月8日―9日には山梨県の富士河口湖町で開催いたします。

子どもも大人もチームを組んで楽しく伊能忠敬になってみましょう。

どうぞ奮ってご参加ください。

参加要項、プログラムの内容は下記をクリックしてそのチラシをご覧ください。

伊能忠敬(千葉)表

伊能忠敬(千葉)裏

伊能忠敬(河口湖)表

伊能忠敬(河口湖)裏ol

 

[2015/06/24]

家族で楽しめる中央区まつり「伊能忠敬居住200年!完全復元伊能図フロア展」

伊能図中央区まつりチラシ0630

[2014/08/24]

勝海舟ミニウォーク

スタート献花

消防少年団が元気よくスタート。右は、ウオーキング後に行われた献花式。

勝海舟はよく「歩く人」でした。

作家の城山三郎さんがビジネスマンのために書いたエッセイに「歩け歩け」と題した一文があります。
その一節を紹介します。

<勝海舟は、とにかく歩く男であった。馬にも乗らず、もちろん、駕籠にも乗らず、江戸の街を歩き回った。
旅に出ても同様で、見知らぬ町に来ると、二日や三日は、ただただ町の中を歩き回るのが常であった。
歩くことで、馬の上や、駕籠の中からは聞きとれない何かをつかむだけではない。有形無形のつながりが出てくる。
江戸の侠客の大親分新門辰五郎を知ったのも、この街歩きを通じてであった。
幕末の動乱の中で、辰五郎は将軍慶喜をかばって、西へ東へと走り回る。
江戸開城談判のとき、「もし官軍が受け入れなければ、全市中に火を放って、江戸を焦土にしてしまう」と勝は西郷をおどしたが、それはただ言葉の上のおどしではなく、辰五郎輩下の多数の侠客たちがいつでも動ける態勢にあった。
そのことが西郷にもわかった。
江戸開城は、「歩く勝」が「坐る西郷」に歩み寄らせた一幕だともいえる>(城山三郎著『打たれ強く生きる』)

ということで、海舟にならって、7月21日、第11回を迎えた「勝海舟フォーラム2014」の前に行われたウォークラリーに参加してきました。

墨田区役所リバーサイドホールから妙見山別院の往復3キロほどのミニウォーク。

妙見山別院には、勝海舟の胸像のほか、勝海舟が犬にかまれて高熱を出したとき、父親の小吉が何日も水をかぶって体を冷やし、海舟を抱きしめたという逸話のある「井戸の縁」があったほか、この日とくべつで、勝海舟の袴を見せていただき、感激。

少々歩き足りなかったので、フォーラム(映画「幕末高校生」の監督・李闘士男の謙虚な話しぶりが印象に残った)が終わったあと、墨堤左岸を右に左へ、三囲神社、向島百花園、木母寺、榎本武揚像などをたずね、水神大橋を渡って、復路は右岸を浅草まで歩き、大汗をかきながらも江戸・明治の歴史を十分に感じ取ってきました。(拓)

スカイ胸像榎本

▲東京スカイツリーを「拝観」しながら妙見山別院へ、勝海舟胸像とご対面。榎本武揚にも会ってきました。

[2014/07/24]